徒然スマイル

海外生活、仕事について、等

上司アレルギー

上司。

大好きと言うよりは、あまり好きじゃない、嫌い、とネガティブな声の方が多いんじゃないでしょうか。

振り返ると、私も地元に居る間は、そうとしか思ってませんでした。

 

20代前半の時の上司は、

日本人お兄さん(30代前半)、日本人おじさん上司(40代)、

お姉さん上司(3歳上)、おばさん上司(40代前半)。

 

当時から女性管理職がいるのは外資系だったからですが、

当時は、女性管理職はキツク荒っぽい感じ、たばこもお酒も男性並み、

電話はつねに喧嘩口調、歩くときはドスドスと周りに威嚇。

なので、20代後半になる前に、女性社員は大体、結構婚退職を考えました。

あんな風になりたくない、と思うのです。

 

私も同じように思いましたが、結婚は自分だけの意志ではどうにもなりません。

毎日業務をこなし、週末を楽しむ日々の連続。

そしてある日、東京に移動の話があり、引き抜いてもらえたのです。

引き抜いてもらえた、と思うのは、後々の人生にいい影響があったと思うからです。

 

人事の後ろでいたのが、あのクマのような外国人上司でした。

彼とはその前に一度も、接点がありません。

メールでさえもです。

驚きでした。

後で思えば彼のスタイルですが、周りから色々聞いて、決めたらしいです。

外国人ネットワークです。

 

地元にいた時、月に数回かは東京から出張の人たちが来たりしてたのですが、

その時でも彼らは色々観察してるのです。

そんなこと気にせず、現場は忙しく業務するのですが、

良いことも悪いことも、東京に戻った時に報告するのです。

それがマネージャというものですよね。後々、自分がその立場になって分かるの

ですが、その時は分かりません。

 

名前を何回か聞くと、人の心に残るものです。

そして追加で、他の外国人マネージャーからの依頼で、少し調べ物を手伝ったということも彼の耳に入り、私は東京に移動になりました。

調べ物を依頼してきた人物は、

後に社長に昇進した人ですが、

当時30代、外国人チームでさえも想像していない昇進でした。

そして、その調べ物の仕事は、当時の日本人偉いおじさんが、面倒くさいと誰かに

振って、そしてまたその人も、お金にならないと私に振ってきた仕事でした。

社長候補からの依頼と知ってたなら、絶対に来なかった案件でした。

偶然が重なりました。

 

大きなクマ上司は、周りの意見も尊重してその人を見ていくというスタイル

の人だったので、周りが評価してくれ出すと、とてもやりやすい上司でした。

ただ、大きくて怖くて、帰国子女組のようにすぐそばに行って談笑できず、

なんとなく距離はありました。

 

テデイベア

見かねて、他部署の外国人たちは、大きなテディベアだと思えばいいんだよ、

と言って笑わせてくれ、あの子は嫌いじゃなくて怖がってるんだ、

と逆にクマ上司に言ってくれました。

お陰で関係は悪化することありませんでしたが、上司の立場からすると、

自分から寄ってくる部下の方がかわいいのは人情ですよね。打ち解けた感じにはなれず、彼はずっと何となく気が重い存在でした。

 

ただ彼以降、もちろん彼を含めですが、

上司というものはとにかく学ぶべきものがある存在、という風に見方が変化しま

した。こう思えるようになったのはラッキーで、グンと成長できたと思います。

 

後に海外では、色んな国籍の人が私の上司になりましたが、

みんなから学ぶ大切さを知ってたので、すんなり受け入れることができました。

 

その後、テディベアは部署が大きくなったため私の上上司になり、

上司には同僚が昇進することになりました。

以前なら、私の方が営業としての成績がいいのにどうして?と思ってたところですが、

とにかく、何か学ぶとこがあるからこの人は上司になったと思い、

いいところは真似るようにしました。

 

組織の変更が多く、数か月間だけインド人が上司になることもありました。

彼からは、値段交渉の仕方、お客様の対応を学びました。

媚びるのではなく、とにかく丁寧な言葉(日本語でも、英語でも)を話すので、

相手は気分が良くなって、難しい交渉も最終的にはイエスと言うのです。

彼は妥協点を見出すように仕向けるのが、上手いのです。

真似ない訳にいきません。

 

上上司になっても、テディベアは遠くから見ていました。

花型先輩がいい案件を独り占めの時は、少し、私に振るように指示し、

彼のところにくる新規案件を、少し振ってくれることもありました。

私の力以上のものですが、少し頑張ればできる、そのあと少しができるかどうかにかなる、という案件でした。成長できるように、わざとそういう案件を選ぶのです。

 

もちろんそういう案件は、なかなか契約に辿り着けません。

提示した金額を了承してもらえなかったり、サービスへの要求度合が高く、

他部署との調整に時間がかかりました。

偉い立場の人からの依頼なら、社内もすぐ調整をするところですが、

新しい営業担当の私となると、大きな案件でも、まさか取れないだろうという憶測

から、後回しになるのです。

正念場でした。

 

同僚が次々に帰る中、19時20時と時間が過ぎ、なかなか進まない案件とにらめっこの

時期も、離れた席で、電話したり、パソコンに向かう テディベアはいました。

別に何も言わず、何か仕事を片付けているようでしたが、見ていたのです。

黙って挨拶だけして帰る時が2日程続くと、

横に座れと彼はいい、電話を取り、強い口調で、なぜ、私に協力しないのかと

他部署に詰め寄りました。案件の大きさなどを説明し、相手に断らせない言い方

でした。

更に海外の協力が必要な場合は、海外の偉い人の携帯に電話、その後確認のメールと、

解決する方法を自分でして教えてくれました。メールにはccで私も入っていました。

何年も仕事していながらおかしな話ですが、

英語でのメールの打ち方は、きちんと習った訳でもなく、

日本人先輩の真似ごとでみな済ませていたので、

書き方一つにしても、勉強になりました。

英語にただ訳すだけではないのです。

ポイントをつき、相手に了解してもらうように書くのです。

そして必要最小限の人達に送る。誰に送るか、これもポイントです。

こういう、滅多にしないフォローを上司がすると、

今まで非協力的な人達も協力してくれるようになりました。

 

素早い解決

外国人同士は、どこに居てもすぐ連絡をとり、なんでもすぐ決めます。

キーになる人を知っていればいいのです。いや、知っておかなければならないのです。

人だと思いました。

ネットワーク。

一歩先に進む方法を覚えた私は、とにかく、ネットワーク作りを大切にしました。

 

外国人ネットワーク独特の、海外からの案件もありました。

そういう案件は、お客様の担当も外国人、それも社長などでしたが、

どんどん関わらせてくれました。

外国人たちは、社内もお客様も、私の年齢や性別より、要求を的確に理解し、

それに素早く対応できることを重視したのです。

それができれば、私でもいいのです。

お陰で度胸がついて、後々、有名日系企業の重役でも、

海外で日系企業現地法人の社長でもひるむことなく、仕事をこなせました。

テディベアは、私が成長するように、少しずつバーを上げていってくれたのです。

 

部下を育てるという事、上司というのはこうなんだな、

いつかこうなりたいな、と思うようになりました。

 

今日はこの辺で。

今日も読んでくださって、ありがとうございました。